自家焙煎珈琲パイデイアの「焙きながらするほどでもない話」第13回です
これだけ珈琲が好きだと、これを読んでくださってる方もそうだと思いますが、缶コーヒーは飲まない、と思われがちです。
確かに、缶コーヒーよりは自分で淹れるドリップコーヒーのほうが格段に美味しいです。そりゃそうです。だって自分で淹れるドリップコーヒーは自分好みの珈琲なんですもの。
缶コーヒーの方が劣っている、ということではありません。ただ、決められた珈琲よりも自分の好みの珈琲の方が、良いに決まってます。
そのためなら、豆を挽いて、湯を沸かして、珈琲を淹れるのも手間には感じないでしょう。
珈琲好きこそ、こだわるが故に手軽でインスタントな珈琲は飲まない、と思われがちなのかもしれません。
ところが、私の焙煎の師匠、オーナーは毎日決まった缶コーヒーを飲み続けています。
毎日珈琲を焙いている人間が、缶コーヒー飲むなんて、一周回ってるような感じがします。
「オーナー、缶コーヒーなんて飲むんですね」
ある時、私が聞いてみました。
「まぁ、変わんないからね、缶コーヒーは」
オーナーは当たり前のこと聞くなよ、と言わんばかりの抑揚のない答えです。
その昔、オーナーは何台もの、何百㎏という大きな焙煎機を回して、缶コーヒー用の焙煎工場で工場長をしていたんだそうです。
焙煎が終わると、待っているのは抽出した珈琲の成分分析です。
広く流通する缶コーヒーの検査項目はかなりの数があり、厳しい審査基準が設けられていたそうです。
「いやー、白衣着た人がなんか色々やってるんだよね。あの時だけは緊張したよ。だって、それでひとつでも数値がダメったらトン近いコーヒー豆が廃棄だからね」
何と恐ろしい話でしょうか。想像もしたくないプレッシャーです。
珈琲を焙くだけで、そんな清水の舞台からハーネスもつけずに飛び降りるなんて。この世の最後の景色が音羽の滝かもしれないなんて、あんなに滝の名が似つかわしくない幼げな滝がこの世の見納めなんて、悲しすぎる。しかし、もしかすると、音羽の滝も「滝」と名付けられたプレッシャーと闘っている同士なのかもしれません。同士に見送られる今生の別れ。割れてもぞ末に会わんとぞ思う。
何の話だ。
オーナーの工場長時代の話ですよ。そうだ、しかも、それは本題の振りでしかないんだった。
まあ、要するに、缶コーヒーというのは科学に基づいて徹底した管理された数字の下で焙煎されている、ということなんです。
で、オーナーはそんな缶コーヒーを毎日飲んでいるんです。
はい、ここまでが話の振りです。ちょっと整理してください。
というか、話の構成を説明しないと、読んでいる人が付いて来られない文章ってなんなんでしょう。駄文がすぎる。
「体調によってさ、やっぱり味って変わるからね。だから、変わらないものを基準にし続けなきゃいけないんだよ。俺の珈琲なんか一番当てになんないでしょ。缶コーヒーは変わんないからね」
そう言って、残った缶コーヒーをグイッと飲み干して、テストスプーンを確認するオーナーはいつもより格好良かったりします。
ちなみに缶コーヒーの検査に使われる基準の数値は人間の味覚が変わると言われる四季に合わせて、微妙に変わるそうです。ずっと同じ缶コーヒーを飲み続けていると、ある時、あ、味変えたな、と分かるそうです。
冬には冬の缶コーヒーの味がしているんだとか。
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