パイデイアって
初めまして。自家焙煎珈琲パイデイアです。
こんな隅っこまでおいでくださり、御足労様です。せっかくこんな隅っこまでいらしたんですから、コーヒー豆を買ってくれとは言いませんから、少しだけでもお付き合いください。
古代ギリシアへさかのぼって
「パイデイア(paideia)」を辞書で調べると、一般的にギリシャ語の「教育」と多く辞書で出てきます。
教育というと、学校教育を思い浮かべるかたが多いのではないでしょうか。私たちは、学校教育の中で、国語算数理科社会はもちろん、人が社会生活を送るために必要なことを学んでいきます。
現代では「教育」と訳される「パイデイア(paideia)」という言葉は古代ギリシャではもっと拡大されて解釈されていました。
古代ギリシャは文化、芸術の発展が目覚ましく、現代の古典と呼ばれる作品が多く生み出された時代です。
絵画や彫刻、建築をはじめとする美術も音楽も詩もこの時代に盛んになります。
古代ギリシャではこのような文化、芸術も「paideia」という言葉で表していました。
つまり、学校教育を受けることも、文化や芸術を享受することも、どちらも人間を形成する上で同じくらい重要視されていたのです。
文化・芸術が成り下がって
古代ギリシャで学校教育と同じくらいに大切だと考えられていた文化・芸術が「不要不急」と言われる時代がやってきました。
映画やドラマは倍速で観られ、文学はSNSに掲載できる140字がもてはやされ、音楽はサビだけが切り取られ30秒の動画でだけ聞かれる時代になりました。
文化や芸術は「消費」されるものへと成り下がり、SNSという実像のない空間で虚無な数字を稼ぐためのものになってしまいました。
確かに2時間の映画を倍速で観れば、同じ時間で2本分の映画が観られます。140字の文学は簡潔で無駄がなく、小難しいことを考えずに誰でも読めます。誰もが知っているサビだけ歌えれば、4分の曲を聴く必要なんかありません。
そうやって、文化・芸術は手軽な方へ、簡単な方へ、時短な方へと流れていきます。
「生産性」「コスパ」「タイパ」と言った昨今の時流と文化・芸術は本来、相入れないはずなのですが、SNSで数字を稼ぐための偶像的な部分だけを切り取って、便利なところだけが利用されてしまっています。
古代ギリシャへのオマージュとして
「自家焙煎珈琲パイデイア」は昨今の文化や芸術の切り取られ方への小さな小さなアンチテーゼとして、教育と肩を並べるほど、文化や芸術が大切にされていた時代へのオマージュとして、名付けました。
文化も芸術も一銭も生み出しません。物質的な生産性もありません。
観たから、読んだから、聞いたからと言って、あなたの手取りが上がるもんじゃありません。
それでも、生活の中にちょっとあるだけで、「何か」が違います。そのうちにその「何か」のない生活に物足りなさを感じるかもしれません。
そんな時、そんな時間に一緒に飲んでいただきたい。
自家焙煎珈琲パイデイアはそんな思いで珈琲を焙いております。