どうもこんにちは。自家焙煎珈琲パイデイアの「焙きながらするほどでもない話」第7回です。
一年ほど前のこと、近所の喫茶店のマスターに「珈琲が美味しい」と教えてもらったお店があります。
それが食べ放題の焼肉チェーン店でした。その時、もうこの店に珈琲を飲みに来るのは止めようかと思いました。
だって珈琲へのこだわりを感じさせるマスターが美味しいと勧める珈琲が、よもや飲み放題の珈琲、それも食べ放題の焼肉チェーン店の珈琲だなんて、お釈迦様でも気づかないでしょう。このマスター、本当は珈琲の良し悪しも分からずにコーヒー淹れてるんじゃないの?とすら思えるショッキングなおすすめでした。
何よりもそんな良し悪しも分からないマスターの珈琲を美味しいと思って通っていた私に対する幻滅すらありました。
しかし、まあ、勧められたものは一旦はなんでも体験してみないと気が済まない私は、その焼肉チェーンに行ってみることに。
焼肉屋とは思えないカジュアルな店内。入り口の横には10種類以上のアイスが並ぶショーケース。全然煙くない客席。
珈琲の味はさておいて、お店の雰囲気はすごくいい。出てくる肉も食べ放題のクオリティとは思えないくらい美味しい。食べ放題の焼肉屋としては大満足です。
しかし、今の私にはもはや肉のクオリティは二の次なのです。こんなところで感動している場合じゃありません。焼肉屋に行って、肉のクオリティが二の次なんてこと、初めてだ。
29歳でもまだまだカルビが美味しい。一応、申し訳程度にロースやハラミも食べておく。でもやっぱりカルビが美味しい。ありがとう、私の若き胃袋よ。胃袋と肌年齢は若ければ若い方がいいとは、昔の人は上手いこと言ったものです。冷麺も食べ、石焼きビビンバも食べ、もうお腹いっぱいだ。
その頃にはかなり食べていたので、網もだいぶ焦げ付いていた。最後にもう少し、カルビをやっぱり美味しく食べたい、と網の交換をお願いしました。
ちょっとベテラン風の店員さんが、手際よく網を替えてくれ、去り際には「網が温まるまで30秒ほどお待ちください」と、気遣いの一言。その一言が温かいよ。
なんて、意気揚々とオーダー用のタブレットを開く。
はたと気付く。もうそんなに食べれない。あと一皿くらいあればいいかな、という程度しか胃袋には入らない。
しかし、目の前には交換してもらったばかりのキラキラ光る綺麗な網。
これで最後に一皿しか頼まなかったら、さっきのベテランさんになんて思われるだろう。
「おいおいおい、最後の一皿のためなら、そのままの網でよかったじゃねぇかよ。わざわざ、んなことで呼び付けるなよ。忙しんだよ、こっちは」なんて声が聞こえる気がする。実際には、私のオーダーをいちいち気にするほどの余裕なんかないわけで、完全に私の自意識だ。
しかし、そんな自意識が働くとたった一皿なんて恐ろしくて注文できない。しかし、カルビが二皿もすでに厳しい。何か軽いものをと探して、タン塩を発見。これなら薄いし、まあ、食べたことにもならないだろう。
カルビと自意識のタン塩を注文する。提供してくれたのが先ほどのベテラン風さん。よかった。あなたの変えてくれた網、ちゃんと使いますよ。
すっかり肉を堪能して、ふぅーっとため息をつく。
来年30歳になるというのに、いまだに食べ放題でデザートの余裕を胃袋に残せたことがない。
デザートも美味しく食べれるスマートな大人になっているはずだったのに。胃袋が若いが、精神年齢も若い。
いっぱいの胃袋に無理やりのようにデザートとアイスを詰め込む。こんなにいっぱいでも、デザートは食べないと気が済まない精神年齢はやっぱり幼い。そうだ、思い出したかのように、注文する珈琲。
こうなると、もう珈琲を飲みにきた感じではない。
冒頭、毎週のように通っている喫茶店のマスターのことをあんなにも悪く言ってしまったのだが、珈琲は飲み放題の、しかも焼肉屋の珈琲とは思えないほど、美味しかった。せっかく勧めてもらったのに、珈琲の良し悪しが分からないお喋りおじさん扱いしてしまいごめんなさい。脂っこい焼肉の後にぴったりのすっきりした後味で美味しかったです。これからも通わせてください。
今回も無理やり珈琲の話をしているかのようにかこつけることが出来ました。
長文、駄文失礼いたしました。