第4回 フルーツバスケット

どうもこんにちは。

自家焙煎珈琲パイデイアの「焙きながらするほどもでもない話」第3回です。

珈琲が好きとかいうこととは別に、私にはいくつかの行きつけの喫茶店やカフェがあります。

作業をしたり、読書をしたりするためのチェーン店、マスターがとにかくよく喋る、なんで愚痴を聞かせれているのに珈琲代まで取られるんだという喫茶店、素晴らしい音質でジャズが流れているジャズ喫茶など用途が様々です。

作業のためにいくカフェチェーンも陽気がいいからちょっと散歩がてら歩きたい時のカフェ、時間がないから仕事に帰りに改札から直通で向かうカフェなどこれまた色々あります。

今は作業をするつもりで自宅から歩いて20分くらい、大きめのアウトレットの中にあるSターBッタクスに来ている。芥川賞掲載号だけ買っている文藝春秋を買うつもりで寄った本屋で気になっていた本を見つけてしまい、なんだかんだで5冊も買い込み席に着いた。

これを書くことが第一の目的だったので、作業をしやすいカウンターの席に座る。すぐに私の前に男性が座った。彼がコンサルがどうたらこうたらというビジネス本とノートパソコン、それもちょっと高さと角度が調整できるスタンドを使って、をカバンから取り出し、目の前に置くので急にやる気がなくなった。私は病的に意識高いのが嫌いなのだ。意識高い嫌いに関しての意識が高いくらいには嫌いだ。

目の前に彼が現れたことで、急遽、フルーツバスケットが始まる。

彼から離れ、本でも読んで気を紛らわそうと、腰を深く掛けられるソファ席に移動しようすると、狙っていた席の隣にベビーカーが横付けされた。場所取りにベビーカーはちょっと反則のような気もしたが、仕方がない、テーブル席に一旦落ち着く。肘掛けがいい感じで本が読みやすい。

テーブル席から、ちらちらとソファ席を狙っていると、一つ空いた席を見つける。

今が好機とソファ席へ移動して、腰を深く掛けてみる。隣の3人組の大きな会話が恐ろしくくだらなく、聞くに堪えないのだが、そこはイヤフォンすればいい。ちょっと前に展覧会で観た、画家アンリ・マティスを題材にドイツの作曲家ヒンデミットが書いた「交響曲 画家マティス」でも聴こう。

ちょうど区切りのいいところまで読んだので、そろそろエッセイ書くか、とタブレット開く。

ソファ席のテーブルにタブレット置いて思う。

このテーブルの高さ、きらいだ。誰がこの高さをいいと思っているのか、腰を掛けたときに膝くらいの高さしかない。

キーボードの位置が腰に巻いたベルトよりも低いのだ。キーボードが叩きづらくて仕方がない。ブラインドタッチは微妙に出来ていない私は首の角度も一番苦しい。

さっき私にフルーツバスケットを迫った彼のちょうど真後ろに位置するソファ席で叩きづらいキーボードを打っている。今となっては肋骨の前でストレスなくキーボードが叩けてであろうカウンター席が懐かしい。

ふと、彼のノートパソコンを覗いてみると、画面が真っ暗である。積まれていたコンサルうんたら本にも手をつけている様子はない。この1時間余りの間、私に幾度とない席替えを迫っていた彼はずっとスマホを覗いていたのだ。

今更、彼の向かいに戻るのも気が引けるし、もうすぐこれも書き終わりそうなので、このままこの席で続ける。しかし、やっぱり嫌いだ、意識の高い奴。

さて、第3回にしていよいよ珈琲のこの字も出てこなかった。文体もちょっと変わった。

このエッセイ、続けられるのか、私。

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