どうもこんにちは。
自家焙煎珈琲パイデイアの焼きながらするほどでもない話、第2回です。
何を書こうかと考えている間に、前回は書きもしなかった挨拶なんかしてました。
私が焙煎を始めるきっかけになったのは、今や師匠となったオーナーに出会ったことからでした。
オーナーは藤沢市の本鵠沼で浅煎りの専門店をやりつつ、普段は江戸川区の焙煎工場で卸しの豆を焼いている人です。
私が本鵠沼のお店に初めて入ったのは、2018年ごろ。その日は仕事が14時に終わり、茅ヶ崎の自宅に帰ろうと海沿いを自転車を走らせていました。
普段は曲がらない信号をたまたま曲がって、たまたま目にした「浅煎り専門」の看板に惹きつけられるように、お店に入ると、カウンターの前には妙齢の女性のスタッフが一人、それから確か、カウンター席の前に男性が一人いらっしゃったと思います。
テーブル席に案内され、お冷とメニュー表を受け取り、マンデリンを注文しました。
あの当時、私はどこに行ってもマンデリンを注文していました。きっとどこかで飲んだマンデリンが美味しかったのでしょう。
まだサードウェーブなどという言葉を知らない私は、「浅煎り=酸っぱい」という印象しかありませんでした。先ほど、「惹きつけられるよう」なんて言いましたが、この時は惹きつけられるほど、浅煎りに良い印象はなかったのだと思います。
そんな印象だった浅煎りのマンデリンの一口目はとんでもなく甘いものでした。
それは浅煎りの印象と言うよりも珈琲そのものの印象を私のなかでガラッと変えました。
珈琲は苦味と酸味の飲み物だと思っていたのに、甘味があるなんて。こんなに珈琲を甘いと感じたことがない。
たかが知れているとは言え、それなりに珈琲を飲み歩いている自負のあった私には、何よりも珈琲の概念を覆されたことがショックだったのかもしれません。
会計をしようと荷物をまとめていると、カウンターの男性客とスタッフの女性がアルバイトを募集すると言う話をしていました。
今になってみると、思いきったことをと思いますが、すぐその場で
「アルバイト募集、というお話が聞こえたのですが、僕、珈琲の勉強がしたくて、ただ、仕事をしているので、アルバイトって言うほどは働けないんですが、勉強させていただけませんか?」
と、口からこぼれていました。
あの当時の就労時間から考えると、本当に思いきったことを言ったものです。
その女性は恐らく困惑していたと思いますが、オーナーに話を通してみるから、連絡先だけ教えて、と言われ、後日、オーナーがお店にいる日付けとその日にオーナーに会うようにという連絡が来ました。
雨の火曜日でした。
二度目のお店のカウンターの中に中年の男性、その向かいの席に若い男性が話し込んでいました。
「あのー関口です」
と二人の話を遮るように挨拶すると、オーナーは気さくなトーンで
「あ、手伝ってくれるんでしょ、よろしくね」
と、面接みたいなものがあると思い、身構えていた私は拍子抜けしました。
「よろしくおねがいします」
と、私が返したのを聞いていたのかいないのか、オーナーはまた若い男性と話を始めました。
よく聞いていると、その若い男性はオーナーに焙煎の相談をしているようでした。
その後、雑誌「POPEYE」で彼のお店が取り上げられているのを見つけることになります。
しばらくして、彼がお店をあとにすると、オーナーはおもむろに私に珈琲を淹れながら、「勉強って何がしたいの?珈琲なんて勉強するほどのもんじゃないよ」とちょっと意地悪そうに笑いながら言いました。
それは、珈琲に対して身構えすぎだぞ、ともお前なんかに教えることはねぇよ、とも受け取れる言葉でした。
今、思うと「勉強するほどのもんじゃない」というオーナーの一言は、オーナーの珈琲哲学の核のようなものだったと思います。
何がなんてことを考えたことがなかった私の口から「焙煎してみたいです」なんて言葉がついて出たのが、すべての始まりでした。
こっからオーナーから色んなことを教えてもらうのですが、それはまた別の機会に。