どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「焙きながらするほどでもない話」が51回目でございます。
世の中でどれだけ珈琲に注目が集まっているのか、正直わかりません。
なんせ私はその中にいるので、周りは珈琲が好きだったり、精通している人が多いわけです。
おんなじようなことを、先日、ロッキンのサザンのライブビューイングに行った時も思いました。
チケットが一枚余ったので、後輩を連れ立って行ったのですが、別に彼はサザンが好きというわけでもありません。
どの曲が有名で、どの曲がマイナーなのか、正直わからないので、彼がどの曲を知っていて、どの曲は初めてなのか、これもわかりません。
私にしてみたら、どの曲も空で歌えるわけで、マイナーな曲なんか一曲としてありません。
私はなんでも、全部歌えます!
なんの話だ…。
あ、そうそう。
自分の好きなものは世間ではどれくらい認知されているのかが、わからないってことだ。
そうです。それでいうと、珈琲も世間でどれくらい意識されているのか、私にはわかりかねるのです。
そんな珈琲業界ですが、ちょっと考えてみたい事案が生じております。
ことの発端は、オシャレを絵に描いたような雑誌で珈琲が特集されたことに始まります。
その企画の中で、今のコーヒー業界のキーパーソンとして紹介された8人が紹介されました。しかし、その全員が男性だったということで、ジェンダーバランスの考慮を要望する書面を「カエサルを暗殺した」雑誌に対して提出したことをある焙煎師さんがツイートしたのです。
それについて、いろんな声が上がりました。
私が見た中で、比較的に多かったのは「女性が見返すくらい頑張ればいい」「雑誌のターゲットは男性だ」「女性に下駄を履かせろって言いたいの?」「声を上げることに意味がある」などいうものでした。
SNSという覆面を被ったやり取りの中なので、この声が男性か女性かは確実なことは言えません。しかし、おそらく男性の声が多そうです。
そんな中で、「女性が見返すくらい頑張ればいい」という意見は女性とおぼしきアカウントにも見受けられた意見でした。
さて、皆さんはいかが考えますでしょうか。
私は意外にちゃんと考えて、私なりの答えを出しました。
まず、この問題はジェンダーの問題なのか、ということです。
ジェンダーの問題とは「性差」=「社会的な男女の役割」による不平等や理不尽という課題を指しています。
もっとも、近年ではLGBTQなどの性的マイノリティに対する課題もあんに含むようになったり、意味合いが広がっています。
さて、そんな中で、「雑誌に取り上げられたのが全員男性であった。だから、ジェンダーへの配慮がない」は成り立つのか。
素人了見ですが、私の答えは「どちらとも言えない」です。
どういうことか、そもそもジェンダーの問題はプロセスにあると思います。
例えば、同じ能力で、同じ実績を積んできた男性と女性のうち、どちらか一人をポストにつけるとしましょう。
このときに「男性が選ばれたから、上層部はジェンダーの意識が低い」と一概に言えるのか、と言うことです。逆を言えば、「女性を起用したからジェンダー意識が高い」が成り立つのか、ということでもあります。
今、私たちが判断材料にしているのは、「男性が選ばれたという結果」だけです。
この男性がどういうプロセスで選ばれたのか、わからない以上、ジェンダーの問題として扱うことは出来ないと思うのです。
もし、選考のプロセスにおいて、「女性は出産するときに産休を取るから」という理由や「男が大黒柱として稼がないといけないから」という理由ならば、これはジェンダーの問題に大きく関わります。
しかし、それはプロセスがわかっているからこそ、ジェンダーの問題で議場に上がるのです。
何度も言いますが、「男性が選ばれた」という結果だけで、ジェンダー問題の議場に上げるのはかなり無理があると思うのです。
さて、先ほどの雑誌の一件ですが、要望書を提出した方は、この8人が選ばれるプロセスに気を留め、問い合わせ等をしたのでしょうか。それとも、ただ、雑誌に並んだ8人全員が男性だったから、ジェンダーとして問題視をしたのでしょうか。
これは同じ要望書を出すんでも、次元が全然違う話です。
で、提出者が雑誌の出版社にそういった問い合わせをしたのかどうかがわからない以上、この問題はこれ以上の回答を出すことはできません。
「要望書の提出者が出版社に8人の選考課程を確かめたかどうかで、問題の本質が変わる」
これが現状の私の答えです。
そうなると、立場はどうであれ、この問題を「ジェンダー問題」として意見をしている人は、本質(あくまで私が考える本質ですが)がわかっていないのではないか、と思います。
ここまでが、今回のBRUTUS(言っちゃった)のジェンダー問題への私の意見でした。
これからも私の意見です。
今回のことで多くの方が、ジェンダー問題の本質を考えずに、ジェンダーを取り上げている様が散見されました。
中には「そんなことを誰も考えて選んでいない」という、なんであなたが編集部のことを知っているんだ、とツッコみたくなるようなものもありました。
その中で、「この要望書のせいで、次、女性が取り上げられたときに、今回のことがフィルターになって、出版社の配慮を感じてしまう」という意見もありました。
この見解は注意しないといけないものではないかと思います。
そんなことを言っては、次に声を上げることに対して、躊躇が生まれてしまいます。
声を上げることに制限をかけるような発言が一番、この問題を解決から遠ざけるものだと思うのです。
その一方で、昨今の新しい価値観に起因する問題意識がファッションになりつつあるのも事実です。
へんな言い方をすれば、そういった問題意識がお金になり始めている、側面があるのも否めません。
「SDGs」と掲げることで売れるようになったもの、「サステナブル」や「エシカル」を全面に押し出す企業。
珈琲業界にもあります。「フェアトレード」という文言で(おそらく)必要以上に値上げをしている珈琲屋。
こういった問題意識をお金に切り売りしている輩がいることも事実です。
今、何が本質で、答えがあるのかどうか、もわかっていない問題を我々が扱わないといけない、段階に社会が「移って」いる(あえて、その方向がいい方向なのか悪い方向なのかを明言してません)のだけは確かです。
こういうときに、明らかな答えを出している人間の言葉には注意が必要だと思います。
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今週は映画「ラストマイル」について書き留めました。お時間があればぜひ、先々週のドラマ「アンナチュラル」と先週のドラマ「MIU404」を読んでみてください。
ぜひ、こちらも合わせてご一読ください。
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気が向いたら、こちらもぜひ聴いてみてください。