どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「焙きながらするほどでもない話」さすがに43回目です。
今までの人生で、やらなくてもいいことを43回もコンスタントにやったことはおありでしょうか?
やらなくてもいいこと、つまり、生死に関わらず、誰に迷惑をかけるわけでもない、何かをとかく言われるわけでもない、ものということです。とかくと言うのは賛も否もです。
なかなか、どうして、自分でも不思議なくらい続いているものです。
大したことを書いていないのがこのエッセイの一番いいところだと思っています。
中身のある文章なんてたった一人の生涯で、43本も書けるわけがありません。
文章を書くというのは、人間の頭の中の恐ろしくどろどろしたものを濾過して、なんとか世の中に流せるようにする行為です。
こんな中身のない文章だってそれなりに濾して、底ぐらいはなんとか目を凝らせば見えるくらいの透明度にしてあります。少なくても、私の視力では底が見えています、この文章。
これを中身のある文章にしようと思うと、さらに濾して濾して、ダムの水域を一滴にするくらい濾過しなくてはいけません。
コップいっぱいの中身のある文章を書くのに、幾つのダムをカラカラにする必要があるでしょう。そんな水量、生涯かけてやっと湧き上がるくらいです。
出先からの帰り道、不動産屋の外で、ブロック塀に札束を並べて数えているおじさんがいました。かなり生々しい光景でした。
不動産屋の前というのが、これまたいやらしい感じがします。何かを転がしたのか、現金を外で気兼ねなく並べている絵面、やっぱり嫌です。
何よりも嫌だったのは、それが私が初めてみた渋沢栄一だったことです。
別に新札に浮かれて、楽しみにしているわけではありません。ただ、おじさんが札束をブロック塀に並べている光景と初めてみた新札の記憶が結びついてしまったことで、このおじさんの光景が強い記憶に残ってしまうのです。
帰りにイオンで涼んでいると、今使っている日傘よりも遮光性の高い傘を見つけました、買ってしまおうかと迷ったのですが、この日傘がトリガーとなって、初めて渋沢栄一、それに連なるブロック塀の札束の記憶が想起されちゃうな、と思ってやめました。
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