第18回 積読2024

どうも、自家焙煎珈琲パイデイアの「焙きながらするほどでもない話」の第18回です。

新年が明けて2/3が過ぎ、未だに聞きなれない2024年という年号は当たり前のようにあちらこちらに。ちなみに令和に関しては何年だか、まだいまいちすぐに出てこない。使い勝手悪くて仕方がない。

毎年、1月中にすることといえば、読むかどうかわからない積読本の大量買いです。

本屋を何周も何周も回り、同じ棚の前で何度も何度も足をとめ、気になった本を片っ端から買っていきます。

聞いたことあるけど、読んだことはない作家さんの作品、最近新聞で読んで気になっていた社会問題、学生の頃に読んで断念した専門書、ジャンルもテーマも関係なく、文字通り、手当たり次第に買っていきます。

私はこの行為を「積読初め」と読んでいます。大学生の頃からかれこれ10年近くやっています。

今年のラインナップです。

  • 早川書房 マイケル・サンデル 「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
  • 幻冬舎文庫 沢木耕太郎 「旅の窓」
  • 新潮文庫 辻村深月 「盲目的な恋と友情」
  • 集英社文庫 友井羊 「映画化決定」
  • 岩波新書 向井和美 「読書会という幸福」
  • 文藝春秋 石井光太 「ルポ 誰が国語力を殺すのか」
  • エクスナレッジ 井戸美枝 「フリーランス大全」

というわけです。

年々本を読むペースというのが遅延していき、買った本は各駅停車で読んでいたのに、いつの間にか、準急、急行、最近では快速急行となり、読まずに飛ばされる本の方が多くなって来たような気がします。

それにしても、今、小田急で例えましたけど、他の地域の方にはわかりにくいですね。

どうして鉄道会社によって、呼び方が違うんでしょう。どっかに快速と通勤快速ってあって、どっちの方が早いのか、たまにしか乗らない電車は分かりません。

そんなことはどうでもよろしい。問題は私の読む本の量です。

去年読み切った本は20冊とちょいです。「ちょい」なんて言わなくていいですね。24冊です。

「読み切った」というところが一つ難しいところです。

つまり、最後まで読んではいないけど、半分くらい読んでやめた本、まだ半分しか読んでない本、たまたま手に取って短編集の一片だけを読んでみた本、そういうのを含めると、おそらく100冊は超えると思います。

「本の読み方は、本の数だけある」という、一つの信念みたいなものがあります。

馬鹿みたいに時間をかけて、一行一行をゆっくり読もうと決めた本はもう読み始めて4年目に入りますが、まだ上巻が1/3くらいしか読めていません。

1ページ目から最後まで通して読んだことはないけど、枕元に置いておいて、毎晩、パッと開いたところをウトウトするまで読むための睡眠導入本もあります。

活字を追うことだけが読書ではありません。最後に本を楽しんだ、と思うことが読書だと思っています。

時間をかけることも、当てずっぽうに読むことも、本を閉じた時に私の中に充足感が満ちていればいいのです。

買って読まない積読を無駄だと毛嫌いする人が一定数います。

これって本当に無駄でしょうか。積読初めのラインナップを見ることで、なんとなく今の私のアンテナがどういう方向に向いているのか、実際に本屋でレジを通す行為から伺えます。買わなくてもいい、という考え方もありますが、やっぱり、手に取るだけと、レジでお金を払うのでは、どこかで意識的なものが作用してしまうように思うのです。

毎年恒例の積読初めは、私にとって、本を読む行為ではなくて、買う行為に意味があり、それを通して現状の自分と向き合っているのだと思います。

買った本を読まない積読を無駄だという人は、面白さがわかっていない本を無理やり読むみたいなことするらしいのですが、これはこれでどうなのでしょう。読み終わって、充足感のない営みの方が無駄な読書体験に思います。

それよりも「わかんねぇな、これ」と割り切って、本を閉じて次の本に行ったほうがいいでしょう。そんな風に閉じた本を時間が経って、本棚の奥から見つけて、開いてみると、これがなかなか面白かったりします。

こうやって再会した時に充足感を感じる読書の方が、長い目で見れば、よっぽど有意義じゃないですか。

まあ、こんなことは私が勝手に思っているだけですので、積読を無駄だと思っている人は引き続き、勝手に無駄だと思っていてください。

さて、いよいよコーヒーのコの字も出ないまま第18回が終わろうとしています。

じゃあ、ちょっとだけ珈琲の話をしておきますか。

先日、小田急線の善行駅近くですごく美味しい深煎りの豆を頂きました。

これが本当に美味しくて、まさに私の焙きたい「深煎りの甘味」がカップに凝縮されているのです。

うわー、これだ、目指すパイデイアは、なんて思うと同時に、ちょっと絶望もするわけです。私の焙煎をする存在みたいなものの根源が揺るがされるのです。

というわけで、次回はまたちょっと珈琲のお話をしたいと思います。

では、また。

自家焙煎珈琲パイデイアでは毎週火曜日にNoteも更新しております。

パイデイアの珈琲と一緒に楽しんでいただきたい、コンテンツを私の記憶のために書き留めております。大きなお世話です、そんなの。

今週は漫画「逢沢りく」を書き留めております。

よろしければぜひこちらも覗いてみてください!

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Related Post

第46回 前々回が44回で、前回45回、だから今回は本物の46回第46回 前々回が44回で、前回45回、だから今回は本物の46回

どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「焙きながらするほどでもない話」が46回を迎える八月の終盤でございます。 もうすっかり、八月が終わるなんてことが微塵も寂しくない年齢になりました。夏休み、という概念から長らく遠ざかってし […]

Read MoreRead More

第33回  本当は自分の首を絞めてるみたい第33回  本当は自分の首を絞めてるみたい

どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。 いいですね、33回。サザンの回です。 中学生の頃、同じ部活の友達が四六時中、当時出始めたiPod(今思えば校則違反だ)で流していたのをきっかけに、すっかりサザンのファンに。 今でも、夕 […]

Read MoreRead More

第42回 またちょっと時間が経って第42回 またちょっと時間が経って

どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「焙きながらするほどでもない話」第42回でございます。 暑い日が続きます。みなさん、つつがなくお過ごしでしょうか? 聖徳太子が隋の皇帝煬帝に送った書の中で「つつながなきや」と記したことで […]

Read MoreRead More